人生の振り返り ~小学校編~

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人生を振り返って:私の幼少期から小学校時代まで

今日は、これまでの人生を振り返ってみようと思います。今回は、幼少期から小学校時代までの話を中心にお届けします。興味がある方は、ぜひお付き合いください。

幼少期の家族環境

まず、私の家庭環境についてお話しします。私の両親は私が幼い頃に離婚しました。離婚のきっかけは、父親が母親に対して何かひどいことをしていたことが原因だと聞いています。私は当時3歳で、「お父さんなんて大嫌いだ、出て行け!」と叫んだことがあったそうです。それが母親が離婚を決意するきっかけになったと言われています。

その後、母親と私は祖父の家に引っ越しました。そこにはいとこたちも住んでいて、大家族で過ごす日々が始まりました。5人兄弟や4人兄弟、そして私たち3人兄弟という大所帯でしたが、寂しい思いをすることはなく、毎日楽しく過ごしていました。

祖父との思い出

祖父は非常にアクティブな人で、自分で家を解体したり、新しい家を建てたりするほどの技術を持っていました。私もその影響を受けて、大工さんになりたいと思うようになりました。幼稚園(実際には保育園)でも「将来の夢」を描く時間があり、その時に「大工さんになりたい」と書いた記憶があります。

小学校時代の思い出

小学校2年生の夏休みには、祖父と一緒に木工工作を楽しみました。その経験から、大工さんへの憧れがさらに強くなりました。また、小学校2年生の時に母親が再婚し、新しい生活が始まりました。最初は元の小学校の音楽発表会に参加するために祖父の家に一人残り、家族と離れて過ごしました。

転校と新しい生活

その後、小学校2年生で2回目の転校を経験しました。この新しい学校では足が速いことに自信を持つようになりました。50メートル走で8秒台というタイムを出し、自分でも「足が速いんだ」と感じるようになりました。しかし、それでも前の学校にいたブラジル人の友達には敵わなかったという記憶があります。

小学校4年生ではさらに別の学校へ転校しました。この学校では転校生として目立ち、生徒会活動にも参加するようになりました。また、この頃から「いじめ」が大嫌いで、誰かが無視されている状況には耐えられず、一人でもその子と話すようにしていました。

勉強への意欲と家庭環境

新しい父親は労働基準監督署で働いており、とても厳格な人でした。テレビもバラエティ番組は見せてもらえず、代わりにNHKのドキュメンタリー番組を見ることが多かったです。その影響もあって、小学校5年生の頃には地球環境問題や京都議定書などに興味を持つようになりました。

また、勉強にも意欲的で、「将来は東大に行くんだ」と言われるほど期待されていました。しかし、母子家庭だったこともあり、お金に関しては非常に気を使っていました。例えば、調理実習のお金すら自分のお小遣いで何とかしようとしていた記憶があります。

小学校時代の活動

私は小学校時代、人前に立つことが好きでした。そのため、生徒会長や委員長などを積極的に務めていました。また、小学校4年生から野球を始めました。当初はあまり上手くありませんでしたが、ピッチャーとして活躍する機会もありました。ただしコントロールには課題があり、フォアボールばかり出してしまうことも多かったです。


このように振り返ると、多くの出来事や経験が今の自分につながっていると感じます。次回は、中学・高校時代についてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!