人生の振り返り ~高校編⑥~

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高校時代の野球部を振り返って

今回は高校時代の野球部について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

高校野球部の環境

私は小中高と野球を続けてきましたが、高校でも野球部に所属していました。高校は進学校だったこともあり、練習時間が非常に短かったです。1時間半から2時間程度で、6時には必ず練習を終わらせなければならないというルールがありました。授業も7時間目まであったので、実際の練習時間はかなり限られていましたね。

そのため、少しでも練習時間を確保しようと、最後の授業が終わった瞬間に急いで部室に走るなど、工夫していました。しかし、限られた時間の中でも「どうせやるなら甲子園を目指そう」という気持ちで取り組んでいました。私自身はさらに上を目指し、「全国制覇」を掲げていましたが、最終的には一回戦敗退という結果でした(笑)。それでも、大きな目標を持つことが大切だと思っていました。

監督との関係

高校時代の監督は、中学校時代の監督の後輩だったということもあり、指導方針に似た部分もありました。ただ、高校では練習時間が短いため、効率的な練習やメンタルトレーニングに力を入れていました。特にメンタルトレーニングとして、駒大苫小牧で田中将大(マー君)を指導した方が来てくれるなど、今思えばすごい経験だったなと思います。

しかし当時は、「こんな講話よりも練習した方がメンタル強くなるんじゃないか?」と感じていた部員も多く、不満を持つ人もいました。私自身は「せっかくなら真剣に聞いて学ぼう」と思っていたので、その姿勢の違いに対して不満を抱いていました。

部内ミーティングとトラブル

その不満が積もった結果、部内ミーティングで「ちゃんと話を聞こう」と訴えたことがあります。しかし、そのミーティング中にもあまり真剣に聞いていない部員がいて、それに対して私はイライラしてしまいました。その後、冷静になってからキャプテンに「我慢ならないから話してくる」と伝え、その部員に直接注意しに行きました。

その場でその部員が「お茶でも飲んで落ち着けよ」と差し出してきたことで、さらに怒りが爆発してしまい、その場で机を蹴飛ばすなどしてしまいました。その後、自分でも収まらなくなり、その日は帰宅しました。

翌日、生徒指導の先生に呼び出され、「気持ちはわかるけど、それは若さだ」と諭され、自宅謹慎処分となりました。その後、反省文を書くよう指示されましたが、「自分は悪いことをしていない」という思いが強く、なかなか反省文を書く気になれませんでした。最終的にはチームのみんなに迷惑をかけるわけにもいかないと思い、思ってもいないことを書いて提出し、復帰しました。

上下関係への厳しさ

私は上下関係にも厳しいタイプでした。中学校時代の影響もあり、先輩には必ず挨拶するという文化が染み付いていたため、高校でもそれを徹底していました。後輩たちには何度も挨拶のやり直しをさせたり、試合中に応援する後輩がガムを噛んでいると激怒したりしていました。

高校卒業後もその考えは残っていて、大学生になって教育実習で母校に戻った際にも、「こんなんじゃダメだ」と後輩たちに厳しく指導しました。当時はそれが正しいと思っていましたが、今振り返ると、自分の価値観を押し付けていただけだったなと反省しています。


今回はここまでです。次回は最後の夏の大会や他のエピソードについて話すかどうか考えたいと思います。それではまた!

人生の振り返り ~高校編⑦~

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高校最後の夏の大会とその後の振り返り

今回は高校最後の夏の大会、そしてその後の受験勉強について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

最後の夏の大会

高校最後の夏の大会は、甲子園を目指して挑んだものでした。私自身は副キャプテンを務めていて、チームを引っ張る立場でもありましたが、練習時間が限られていたこともあり、なかなか思うように結果を出せませんでした。特に進学校ということもあって、練習時間は短く、毎朝少人数で朝練をする日々が続いていました。

彼女は吹奏楽部に所属しており、野球部の試合を応援するために吹奏楽部を選んでくれたということもありました。その応援もあって、最後の大会に向けて全力で取り組んでいましたが、結果としては一回戦で敗退。5回コールド負けという形で幕を閉じました。

試合中、私は途中から守備に出させてもらい、グラウンドに立つことができましたが、それでも悔しさや不甲斐なさが残りました。試合後、一人一人がコメントをする場面でも、自分の不甲斐なさを認められず、ひねくれた発言をしてしまった記憶があります。それでも、この3年間は本当に楽しく、充実した時間だったと思います。

夏が終わってから

野球部引退後、多くの仲間は受験勉強にシフトしていきましたが、私はその後すぐに控えていた体育祭で応援団長を務めることになっていました。「まだ俺の夏は終わっていない」と思いながら、体育祭に向けて準備を進めていました。9月に開催された体育祭では、応援合戦などにも全力で取り組み、とても楽しい時間を過ごすことができました。

しかし、その後、本格的に受験勉強に切り替えようとしたものの、なかなかモチベーションが上がらず、「燃え尽き症候群」のような状態になってしまいました。勉強へのやる気が持てず、ふわふわした気持ちで過ごしていた時期もありました。

11月の模試と受験勉強

そんな中、11月に模試があり、その結果を見た時には衝撃を受けました。点数は30点台と散々な結果で、「このままではどこにも行けない」と危機感を覚えました。当初は筑波大学を目指していましたが、そのレベルには到底届かず、「私立すら厳しい」という現実に直面しました。

そこから本気で勉強に取り組むようになりました。夜中の2時や3時まで塾で勉強し、朝6時半には起きて学校へ行くという生活を送りました。授業中も自分の勉強に集中し、とにかく必死でした。その努力のおかげで成績はメキメキと上がっていきました。

最終的な結果

最終的には筑波大学には間に合わず、新潟大学を志望校として受験しました。模試ではA判定が出ており、自信もあったので「これは絶対に受かるだろう」と思っていました。しかし、結果として新潟大学にも落ちてしまうという予想外の展開になりました。この結果にはかなりショックを受けましたが、それもまた一つの経験として今では振り返っています。


今回は高校最後の夏の大会とその後の受験勉強についてお話ししました。次回もまた別のエピソードについて話していきたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~高校編⑧と大学編①~

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大学受験から大学入学までの振り返り

今回は、大学受験から大学入学までの流れについてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

大学受験の失敗

前回もお話ししましたが、私は新潟大学を受験して失敗しました。父親は非常に厳格で真面目な人で、私に対しても「国公立に行けるのはお前だけだ」と期待をかけてくれていました。しかし、センター試験はまあまあの結果だったものの、二次試験で失敗してしまいました。

特に印象的だったのは、二次試験の前日、父親が酔っ払って帰ってきて、「お前しか国公立に行けるやつはいないんだから頑張れよ」と言われたことです。母親は「なんでそんなこと言うの!」と怒っていましたが、私はその時、プレッシャーを感じつつも「頑張らなきゃな」と思っていました。

しかし、結局新潟大学には前期・後期ともに落ちてしまいました。特に後期の面接では、「アスレティックトレーナーになりたい」と話したものの、その具体的な内容を全く理解していなかったため、面接官から突っ込まれてしまい、うまく答えられずに終わってしまいました。今思えば、もっとしっかり準備しておくべきだったと反省しています。

私立大学への進学

新潟大学に落ちた後、私立大学をほとんど受けていなかった私は進路に迷っていました。しかし、父親が「法政大学のスポーツ健康学部が新設されたから受けてみろ」と勧めてくれたので、そのアドバイスを受けて法政大学を受験し、無事合格しました。法政大学のスポーツ健康学部は新設されたばかりで、私はその一期生として入学することになりました。

父親は「俺が法政を勧めたから今のお前があるんだぞ」と冗談交じりに言っていましたが、その通りで、父親のおかげで進学先が決まりました。

高校卒業と彼女との別れ

高校卒業後は、3年間付き合っていた彼女とも別れることになりました。彼女は愛知県の大学に進学することになり、遠距離恋愛になるということで、お互い「遠距離でもなんとかなるよね」と話していましたが、結局別れました。やはり距離があると難しいですね。

大学入学後の生活

法政大学に入学してからは、新しい環境に慣れるまで少し時間がかかりました。私はスポーツ健康学部ということで、「みんなスポーツ目的で来ているだろう」と思い込み、入学初日からジャージ姿で登校しました。しかし、周りは全員私服で、一人だけジャージ姿だった私は「田舎者が来たぞ」という感じで浮いてしまいました(笑)。

さらに、高校時代は友達との間で下ネタを話すことが普通だったので、そのノリで大学でも同じように話していたところ、「その下ネタはちょっとグロすぎるからやめてくれ」と言われてしまい、自分の感覚が通用しないことに驚きました。

最初は友達もなかなかできず、「大学ってこんな感じなのか…」と思いながら過ごしていました。テレビもあまり見ていなかったので、普段の会話にもついていけず、新しい友達作りには苦労しましたね。


今回はここまでです。次回は大学生活やその後についてさらに掘り下げてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~大学編②~

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大学時代の恋愛とその後の振り返り

今日は、大学時代に付き合っていた彼女についてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

高校から続いた交際

私が大学時代に付き合っていた彼女とは、高校3年間ずっと付き合っていて、大学に進学してからも遠距離恋愛を続けていました。当時は、今のようにテレビ電話などで簡単に顔を見ながら話すことができる時代ではなく、ウィルコムの電話を使って長電話をするという形で遠距離を乗り越えていました。

月に一度は会うようにしていて、二ヶ月に一回くらいは旅行にも行くなど、なるべく頻繁に会うようにしていました。ただ、そのためにアルバイトを頑張る必要がありましたが、土日に会うことが多かったので、バイトができない日が増え、金銭的にはかなり厳しかったです。奨学金で8万円借りていたものの、それで家賃や光熱費などを払っていたため、生活はかなりギリギリでした。

別れとその後の未練

彼女は非常に魅力的な人で、大学に入ってからも人気がありました。私は彼女とずっと一緒にいるつもりでしたが、お互い「これからの人生でいろんな経験をした方がいいんじゃないか」という話になり、最終的には別れることになりました。

しかし、その後私は未練タラタラで、次の彼氏ができた彼女に対して嫉妬したり、「やっぱり君が好きだ」と言い続けたりしていました。彼女には迷惑をかけてしまったと思いますし、自分でも「みっともないな」と感じながらも、なかなか気持ちを切り替えることができませんでした。

中学校時代の元カノとの再会

さらにみっともない話として、中学校時代に初めて付き合った彼女とのエピソードがあります。高校2年生の時に同じクラスになったものの、お互いほとんど話すことはありませんでした。しかし、大学に入ってから地元に帰る機会が増え、その元カノと再び話すようになりました。

その頃、私はまだ高校時代から付き合っていた彼女と遠距離恋愛を続けていましたが、中学校時代の元カノと再び仲良くなったことで、自分の気持ちが揺らぎ、「もしかして自分は元カノのことが好きなんじゃないか」と思うようになりました。そして、高校時代から付き合っていた彼女に対して「元カノのことが好きだから別れたい」と告白し、一度別れることになりました。

しかし、その後元カノに告白したところ振られてしまい、「どうしよう」と悩んだ末、再び高校時代から付き合っていた彼女に「やっぱり君が好きだ」と言って復縁しました。この一連の流れは本当にみっともないと思いますし、自分でも反省しています。

最終的な結末

最終的には、その復縁した彼女とも別れることになりました。お互い不満を抱えていた部分もあり、それが積み重なった結果だったと思います。しかし今では、お互い別々の道を歩み、それぞれ幸せな家庭を築いているので、それで良かったんだと思います。


今回は大学時代の恋愛や過去の恋愛について振り返りました。今となっては甘酸っぱい思い出ですが、当時は色々と悩んだり未練を抱えたりしていました。それでも今は妻と幸せな生活を送っていますので、この経験も良い思い出として受け止めています。

次回もまた別のエピソードについてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~大学編③~

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建設業界に進んだ理由とその経緯

今回は、なぜ私が建設業界に進むことを決意したのか、その経緯についてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

スポーツ健康学部への進学

私は大学ではスポーツ健康学部に進学しました。中学校時代、先輩から「将来どうするんだ?」と聞かれた時に、当時の夢だった大工さんを諦めることになり、代わりにスポーツトレーナーを目指すことになりました。先輩から「スポーツが好きならトレーナーもいいんじゃないか?」と言われたのがきっかけです。

ただ、実際にスポーツ健康学部に進んでみると、自分がトレーナーとして働くイメージがあまり湧かず、「これは自分の仕事としては違うな」と感じるようになりました。スポーツ自体は今でも好きですが、それを職業にすることへの違和感がありました。

将来の仕事への再考

その頃、私生活でも彼女との別れなどがあり、将来について真剣に考える時間が増えました。プライベートで幸せになれるかどうかはわからないけれど、少なくとも仕事では自分の人生を充実させたいと思うようになり、改めて自分の進路について考え直しました。

そこで思い出したのが、昔からの夢であった「大工さん」でした。しかし、大工という職業だけでなく、もっと広い視点で建設業界全体を見てみると、現場監督などの選択肢もあることに気づきました。建設業界では、多くの人々が協力して一つの建物を作り上げるというプロセスがあります。それは私がこれまで経験してきた体育祭や文化祭でみんなと協力して何かを成し遂げる喜びと通じるものがあり、「これだ!」と思いました。

親との話し合いと反対

建設業界に進む決意を固めた私は、親に「大学を辞めて建設業界に進みたい」と相談しました。しかし、父親は労働基準監督署で働いていたこともあり、建設業界の厳しい実情をよく知っていました。当時は週休2日制などもなく、長時間労働や過酷な労働環境が当たり前だったため、「絶対にやめておけ」と強く反対されました。

それでも私は心が揺らぐことはなく、「どうしても建設業界に行きたい」という強い意志を持っていました。そこで、自分の行動で示すしかないと思い、まずは大学を辞めて受験し直そうと決意しました。しかし、そのためには理系科目の勉強が必要でした。文系科目しか履修していなかったので、数学や物理・化学など理系科目を一から勉強し直す必要がありました。

親の理解とサポート

その後、親と再度話し合い、「本当に勉強し直す覚悟があるなら頑張れ」と言われました。ただし、「せっかく大学に入ったんだから卒業してから専門学校に行ったらどうだ?」という提案もありました。私はその提案を受け入れ、まずは大学を卒業することを目指すことになりました。

また、自分のわがままで専門学校に行くことになるため、その学費だけは自分で稼ごうと思い、アルバイトにも精を出しました。途中からは建設現場で土木作業員としてアルバイトも経験しながら、お金を貯めていました。そして一年分の学費を貯めたところで親に報告すると、「学費は親が払うから心配するな」と言ってくれ、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。

大学卒業後の道

最終的には大学を無事卒業し、その後専門学校へ進むことになりました。大学では体育の教員免許なども取得し、「せっかく卒業するなら資格も取っておこう」という気持ちで取り組んでいました。また、大学4年生の時にはアルバイトで貯めたお金を使ってサーフィンや旅行なども楽しみながら、有意義な学生生活を送りました。


今回は私が建設業界に進むことになった理由と、その経緯についてお話ししました。本当に親には感謝していますし、自分自身も多くの経験を積みながら今の道にたどり着いたと思います。次回もまた別のお話をしていきたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~大学編④~

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大学生活の振り返り

今回は、大学生活全体について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

大学での友達関係

まず、大学に入学した当初は、なかなか友達ができず、少し浮いていたように感じました。高校までは、いろんな人と仲良くなって、誰にでも話しかけるタイプだったんですが、大学では特定の友達としか深く付き合わないようになりました。高校時代とは違い、広く浅くというよりは、少人数の友達と深い関係を築くことが多かったですね。

主政学との出会いと価値観の変化

大学時代に大きな影響を受けたのは、死生学や哲学、倫理学などを学んだことです。特に死生学の先生との出会いが大きく、自分の価値観が大きく変わりました。それまで私は、「みんなで楽しむことが正しい」「全力で取り組めばみんなが楽しめる」という考え方を持っていました。体育祭や文化祭でも「これが楽しいんだからみんなもやるべきだ」と思っていたんです。

しかし、死生学を学ぶうちに「人それぞれ価値観や個性が違う」ということを強く意識するようになりました。それまで自分が他人に押し付けていた価値観が、本当に正しいものだったのかと疑問を持ち始め、自分の行動を反省するようになりました。その結果、一時的に引っ込み思案になり、人に積極的に話しかけることも少なくなってしまいました。

飲み会文化と自己変化

大学生になると飲み会も増えました。当初は率先してゲロ処理などもやっていましたが、周りに優しい人が多かったこともあり、「自分がやらなくてもいいんじゃないか」と思うようになりました。そうした変化から、「自分は何もしないやつだと思われているんじゃないか」と不安になることもありました。

その結果、ますます友達作りが難しく感じるようになり、広く交友関係を持つよりも特定の友達との付き合いに集中するようになりました。ただ、そのおかげで少数の友達とは非常に深い関係を築くことができました。私の家は大学から近かったので、よく友達が泊まりに来て、一緒に大学に通ったりしていました。特定の友達と長時間一緒に過ごす時間は、とても楽しかったです。

価値観の再形成

大学生活を通じて、自分の価値観は大きく変わりました。それまでは「自分の考え方が正しい」と思い込んでいましたが、多様な価値観や個性を尊重することの大切さを学びました。ただ、その一方で、自分自身の個性を抑え込むようになってしまった部分もありました。自分本来の明るさや積極性を発揮できず、全力で楽しむことができない時期もありました。

特定の友達とは楽しく過ごせていましたが、それ以外の場面では自分を抑えてしまうことが多く、「本当に楽しめていたか?」というと疑問が残ります。また、「全員に好かれたい」という気持ちも強かったため、自分を抑えることで周囲との調和を図ろうとしていた部分もありました。

大学生活全体の振り返り

大学生活全体としては、少数の友達との深い付き合いや、新しい価値観との出会いによって成長した部分は多かったです。しかし、その一方で自分らしさを失ってしまった時期もありました。それでも最終的には、自分自身を見つめ直し、本来の明るさや積極性を取り戻すことができたと思います。


今回は大学生活全体について振り返りました。次回はまた別のお話しをしていきたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~大学編⑤~

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大学時代のアルバイトと建設現場での経験

今回は、大学時代に経験したアルバイト、とりわけ建設現場でのアルバイトについて振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

アルバイトの多様な経験

大学時代、私はいろんなアルバイトを経験しました。就職後は一つの会社で働き続けるというイメージが強かったので、アルバイトではできるだけ多様な経験を積みたいと思っていました。だいたい1年ごとにアルバイトを変えて、新しい環境で働くことを楽しんでいました。

最初は居酒屋で働き、その後は回転寿司店、レンタルビデオ店、ヤマト運輸の仕分け作業、そして建設現場へと移っていきました。接客業が多かったですが、人と話すことが好きだったので、それぞれ楽しく働いていました。ただ、事務職なども経験しておけばよかったなと思うこともあります。

建設現場でのアルバイト

将来、建設業界に進むことを考えていたので、建設現場でのアルバイトも始めました。いわゆる「末端」の会社で、3次・4次下請けのようなポジションでした。そこでは、多くの作業員が特に専門知識もなく働いているような環境でした。

しかし、このアルバイトでは本当に多様な現場を経験することができました。大手ゼネコン(スーパーゼネコン)の現場にも行ったことがありますし、町屋の新築工事や解体作業など、さまざまな現場に携わりました。例えば、大手ゼネコンの現場では、ただ掃除やパトロールをするだけの日もあり、「これでいいのかな?」と思うこともありました。

一方、解体作業ではアスベスト処理を行う現場にも行きましたが、その時は保護具やマスクなど何も装備せずに作業していました。今思えば非常に危険な環境でしたが、その当時は特に気にせずスコップでアスベストを袋詰めしていました。また、高所作業では足場の解体も経験しましたが、安全帯をかける場所もなく、自分のバランス感覚だけで作業するという恐怖体験もありました。

安全意識と建設業界への思い

こうした経験から、安全意識の欠如について強く感じるようになりました。特に、大手ゼネコンと下請け会社との間では、安全管理に大きな差がありました。このギャップを目の当たりにしたことで、「建設業界では安全管理が最優先されるべきだ」と強く思うようになりました。

そのため、ゼネコンへの就職面接でも、「安全対策に力を入れたい」という話をさせていただきました。大学時代のアルバイト経験を通じて、安全意識や労働環境について深く考える機会になったと思います。

人間関係について

建設現場で働いていた頃、人間関係にも悩むことがありました。特に末端の会社では、作業員同士のコミュニケーションや上下関係が厳しい部分もあり、慣れるまで時間がかかりました。また、高所作業などで怖さを感じた際には、「もう無理です」と言ったところ、「もうお前なんか呼ばないぞ」と怒られたりすることもありました。それでも何とか乗り越えながら働いていました。


今回は大学時代に経験したアルバイト、とりわけ建設現場でのエピソードについてお話ししました。この経験が今の自分に大きく影響していると感じています。次回もまた別のお話をしていきたいと思いますので、お楽しみに!