人生の振り返り ~小学校編~

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人生を振り返って:私の幼少期から小学校時代まで

今日は、これまでの人生を振り返ってみようと思います。今回は、幼少期から小学校時代までの話を中心にお届けします。興味がある方は、ぜひお付き合いください。

幼少期の家族環境

まず、私の家庭環境についてお話しします。私の両親は私が幼い頃に離婚しました。離婚のきっかけは、父親が母親に対して何かひどいことをしていたことが原因だと聞いています。私は当時3歳で、「お父さんなんて大嫌いだ、出て行け!」と叫んだことがあったそうです。それが母親が離婚を決意するきっかけになったと言われています。

その後、母親と私は祖父の家に引っ越しました。そこにはいとこたちも住んでいて、大家族で過ごす日々が始まりました。5人兄弟や4人兄弟、そして私たち3人兄弟という大所帯でしたが、寂しい思いをすることはなく、毎日楽しく過ごしていました。

祖父との思い出

祖父は非常にアクティブな人で、自分で家を解体したり、新しい家を建てたりするほどの技術を持っていました。私もその影響を受けて、大工さんになりたいと思うようになりました。幼稚園(実際には保育園)でも「将来の夢」を描く時間があり、その時に「大工さんになりたい」と書いた記憶があります。

小学校時代の思い出

小学校2年生の夏休みには、祖父と一緒に木工工作を楽しみました。その経験から、大工さんへの憧れがさらに強くなりました。また、小学校2年生の時に母親が再婚し、新しい生活が始まりました。最初は元の小学校の音楽発表会に参加するために祖父の家に一人残り、家族と離れて過ごしました。

転校と新しい生活

その後、小学校2年生で2回目の転校を経験しました。この新しい学校では足が速いことに自信を持つようになりました。50メートル走で8秒台というタイムを出し、自分でも「足が速いんだ」と感じるようになりました。しかし、それでも前の学校にいたブラジル人の友達には敵わなかったという記憶があります。

小学校4年生ではさらに別の学校へ転校しました。この学校では転校生として目立ち、生徒会活動にも参加するようになりました。また、この頃から「いじめ」が大嫌いで、誰かが無視されている状況には耐えられず、一人でもその子と話すようにしていました。

勉強への意欲と家庭環境

新しい父親は労働基準監督署で働いており、とても厳格な人でした。テレビもバラエティ番組は見せてもらえず、代わりにNHKのドキュメンタリー番組を見ることが多かったです。その影響もあって、小学校5年生の頃には地球環境問題や京都議定書などに興味を持つようになりました。

また、勉強にも意欲的で、「将来は東大に行くんだ」と言われるほど期待されていました。しかし、母子家庭だったこともあり、お金に関しては非常に気を使っていました。例えば、調理実習のお金すら自分のお小遣いで何とかしようとしていた記憶があります。

小学校時代の活動

私は小学校時代、人前に立つことが好きでした。そのため、生徒会長や委員長などを積極的に務めていました。また、小学校4年生から野球を始めました。当初はあまり上手くありませんでしたが、ピッチャーとして活躍する機会もありました。ただしコントロールには課題があり、フォアボールばかり出してしまうことも多かったです。


このように振り返ると、多くの出来事や経験が今の自分につながっていると感じます。次回は、中学・高校時代についてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~中学校編①~

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中学校時代の思い出:期末テストから友達とのエピソードまで

中学校に入って最初に記憶に残っているのは、期末テストで学年1位を取ったことです。少し自慢話になりますが、この時は本当に嬉しかったですね。さらに、スポーツテストでも好成績を収め、「文武両道そのもの」といった感じでした。この時点で、すっかり調子に乗ってしまい、「自分の人生は安泰だ」とまで思っていました。

勉強へのモチベーション低下

しかし、その後は勉強への意欲がどんどん薄れていきました。最初は頑張っていたものの、次第に全く勉強しなくなり、成績も徐々に下がってしまいました。今振り返ると、あの時もっと努力していたら良い結果が出ていたかもしれませんが、当時は勉強よりも楽しいことを優先していました。

特に苦手だったのは社会や国語といった暗記科目でした。一方で、英語は比較的得意でしたが、それでも授業中の態度が悪かったため、成績は思うように伸びませんでした。テストでは95点を取ることもありましたが、成績表には「3」や「4」が並んでいました。授業態度が評価に大きく影響していたようです。

音楽と先生との関係

音楽の成績は常に「5」をキープしていました。歌うことが好きだったので、音楽の授業は楽しみでした。しかし、小学校の頃に一度だけ音楽の成績が落ちたことがあり、その理由を先生に尋ねたところ、「みんなを引っ張らなければならないから」という答えが返ってきました。その理由には納得できず、「それと成績は関係ないじゃないか」と感じました。

友達との付き合いとトラブル

中学校では友達とも仲良く過ごしていました。友達と一緒に遊びに行くことが大好きで、毎日楽しく過ごしていました。しかし、一度だけ大きな問題になったことがあります。それは、学校のルールで「校区外に出てはいけない」という決まりがあったにもかかわらず、友達と一緒に校区外まで遊びに行ってしまったことです。その結果、先生から呼び出され、大問題になりました。

最終的には私だけが厳しく叱られ、「お前だけはそういう場所に行っちゃダメだろ」と言われました。この扱いには納得できず、「なぜ自分だけがこんな風に扱われるんだ?」という思いでいっぱいでした。他の友達と同じように行動したにもかかわらず、自分だけ違う扱いを受けることが不思議で仕方ありませんでした。

まだまだ中学校編は続きます。お楽しみに!

人生の振り返り ~中学校編②~

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中学校時代の振り返り:文化祭と部活動、そして体育祭

今、人生を振り返っている最中なんですが、なかなか前に進まないですね。まだ中学校の話をしているところです。中学校で一番の思い出といえば、やはり文化祭です。文化祭にはいろいろな事件や熱い思い出が詰まっていて、語り始めると長くなってしまうので、この話は次回に持ち越したいと思います。ということで、今日は中学校の後半についてはまだ終わらないかもしれませんが、よろしくお願いします。

部活動の思い出

まずは部活動について話しましょう。以前もお伝えしましたが、小学校から高校まで野球を続けていました。中学校の野球部での思い出といえば、やはり肩を壊してしまったことです。元々肩が強くて速い球を投げることが自慢だったのですが、中学校の途中で肩を痛めてしまい、それから投げ方がおかしくなってしまいました。それまで自分の唯一の取り柄だった「速球」が失われてしまったことで、とても辛かったです。なんとか昔の自分に戻ろうと努力しましたが、なかなか解決できず、その後も苦しい時期が続きました。

厳しい監督との日々

中学校時代の監督は、学校の先生ではなく外部から来ていた方でした。この監督は非常に厳しく、時には暴力的な指導もありました。至近距離からボールを投げつけたり、ケツバットをしたりすることもありましたが、それでも私はその監督が好きでした。彼の熱意や厳しさのおかげで、自分たちは強くなれたと思っています。

練習は非常にハードで、朝7時に集合して夜8時まで続くこともありました。特に夏場は13時間以上練習する日もあったほどです。暗くなってボールが見えなくなると、タイヤ引きなどの体力トレーニングが始まりました。私は体力がある方ではなかったので、バテバテになりながらも何度もタイヤ引きを繰り返していました。

その監督は私たちの代まで指導していましたが、その後問題が発覚し辞めさせられてしまいました。しかし、一つ下の学年にはその監督を慕う選手もいて、私たちも中学野球が終わった後、そのチームに合流して一緒に練習したこともあります。

体育祭での団長経験

次に体育祭についてお話しします。私は小学校でも中学校でも体育祭の団長を務めました。中学3年生の時も団長として、みんなを引っ張る役割を担いました。この時も熱血漢ぶりを発揮し、大勢の前で意気込みを語る場面では、一人だけ長々と話してしまいました。昔から話が長くなる傾向があり、まとめることが苦手なんですよね。でも、そのスピーチを聞いて感動してくれた後輩もいて、「来年は僕も団長になりたい」と言ってくれたことは、とても嬉しかったです。

体育祭当日は応援合戦で負けてしまったり、本番でも1位になれなかったりと悔しい思いもしました。それでも仲間たちと過ごした時間や努力した日々を思い出すと、本当に楽しかったです。そのため、体育祭当日は悔しさと感動で涙が止まりませんでした。

選手リレーでの失敗

体育祭で一番印象に残っている出来事は選手リレーです。私はリレー選手として走りましたが、途中で転んでしまいました。それまで大歓声だった会場が、一瞬にして悲鳴に変わりました。その瞬間、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。でも、その後みんなが「よく頑張った」と励ましてくれて、それが本当に嬉しかったです。


こうして振り返ると、中学校時代には多くの困難や失敗もありましたが、それ以上に仲間との絆や成長を感じることができました。次回は文化祭について詳しくお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~中学校編③~

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人生の振り返り第4回:中学校の文化祭について

今日は人生の振り返りシリーズの第4回目ということで、中学校時代の文化祭についてお話ししたいと思います。前回も少し触れましたが、今回は中学校の文化祭を中心に振り返っていきます。よろしくお願いします。

文化祭の思い出

まず、私が経験した文化祭は、いわゆる「学園祭」というよりも、音楽発表会や音楽コンクールに近いものでした。当時、私は「みんなで全力で取り組んで楽しもう」という思いが強く、文化祭もその一環として盛り上げたいと考えていました。運動会や体育祭はみんなで盛り上がるイベントというイメージがありますが、文化祭や音楽発表会はそこまで熱心に取り組む雰囲気がなかったんです。それが少し残念で、「これをみんなで盛り上がるイベントにしたい」と強く思っていました。

生徒会副会長としての取り組み

中学校3年生の後半に、生徒会副会長に立候補しました。文化祭を盛り上げるために、全校合唱を企画しました。これはそれまでになかった試みで、「全校で一つになって歌う」という新しい挑戦でした。自分でピアノを弾いて練習をサポートするなど、全力で取り組んでいました。

しかし、文化祭前日には疲れがたまり、体調を崩してしまいました。そのため、リハーサルでは外から見守ることにしました。そこで感じたのは、「みんなが全力で取り組んでいない」という不満でした。それに対して感情的になってしまい、「こんな状態なら明日の本番には出ない」と言ってしまったんです。その後、もう一度練習させたものの、雰囲気は悪くなり、自分自身も体力的に限界を迎えてしまいました。

当日の葛藤と決断

その夜、多くのクラスメイトから「明日は一緒に歌ってほしい」とメールをもらいましたが、私は「明日の朝のみんなの態度次第だ」と返答しました。そして迎えた当日の朝、練習を見て「やはり自分は舞台には立たない」と決めました。しかし、生徒会として文化祭そのものを壊すわけにはいかないので、裏方としてサポートすることにしました。

本番前には、生徒会メンバーやクラスメイトから「歌ってほしい」と泣きながら説得されました。その姿に心を打たれ、最終的には舞台に立つことを決意しました。みんなと一緒に全力で歌ったことで、全校合唱は大成功を収めました。

反省と学び

文化祭後、閉会の言葉を任されました。その時、「最初は大したことないと思っていた文化祭だったけれど、本番を迎えてみんなの気持ちが伝わってきて、本当に素晴らしい文化祭になった」と話した記憶があります。この経験は私にとって美しい思い出として残っています。

しかし、その後大学で哲学や死生学を学んだ際、自分が当時「自分の価値観を押し付けていた」ことに気づきました。「これが楽しいからみんなでやろう」と無理強いしていた部分があったんだなと反省しました。一人暮らしを始めてから、このような物思いにふける時間も増え、自分自身と向き合う機会となりました。


今回はここまでです。次回はまた中学校時代について続きをお話ししますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~中学校編④~

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中学校の振り返り 第4弾:中学校編の締めくくり

今日は中学校の振り返り第4弾ということで、今回で中学校編を終わらせたいと思います。よろしくお願いします。

生徒会活動の思い出

まずは生徒会活動についてお話しします。私は中学校で生徒会副会長を務めていました。生徒会長と副会長3人のうち、男子は私を含めて2人でした。この3人で過ごす時間が非常に多く、今でも良い思い出として残っています。最近はなかなか会う機会がなくなってしまいましたが、当時は本当に仲が良く、一緒にいろんなことに取り組んでいました。

放課後には「生徒会活動」と称して、生徒会室にこもって過ごすことが多かったです。先生からも「よく頑張る生徒会だ」と思われていたかもしれませんが、実際は生徒会室に置いてあった本を読んだり、パソコンを使ったりして遊んでいただけでした(笑)。パソコンを使うのも「生徒会活動の一環」という名目でやっていたので、合法的に使えるという点が少し嬉しかったですね。

初めての恋愛

次に恋愛の思い出です。中学3年生の時、初めて自分から告白して彼女ができました。小学校6年生の時にも一度付き合ったことがありましたが、その時は遊び半分で自然消滅してしまったので、本格的な恋愛はこの時が初めてでした。

当時、自分ではあまり意識していませんでしたが、それなりにモテていたようで、バレンタインデーには15個ほどチョコをもらったことがあります。また、「ファンクラブ」があるなんて噂もありました。そんな中、勇気を振り絞って告白した相手と付き合うことになりました。

ただ、私は非常に奥手で、手をつなぐことすらなかなか言い出せないタイプでした。一緒に帰ることはあっても、その子の家が学校から近かったため、わざわざ遠回りして自分の家まで一緒に帰ることもありました。でも、公園に寄って話したいと思っても、それを口に出す勇気がなく、結局何も言えずじまいでした。今思えば、可愛いエピソードですね。

結局、その恋は長続きせず、3〜4ヶ月ほどで別れてしまいました。お互い初めての恋愛だったので、不器用な部分も多かったですが、それもまた良い思い出です。残念ながらファーストキスには至らず、手をつなぐことさえできなかったというのは今でも少し恥ずかしい思い出です。

中学校生活の総括

こうして振り返ると、中学校ではたくさんの楽しい思い出や成長する機会がありました。生徒会活動や初めての恋愛など、多くの経験が今の自分につながっていると感じます。

これで中学校編は終わります。次回からは高校時代についてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~高校編①~

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高校時代の振り返り:高校編スタート

今回から高校時代の振り返りを始めます。前回やっと中学校編が終わりましたが、高校を振り返る中で、どうしても中学校の話題が出てくることもあるかもしれません。ただし、中学校を掘り下げて話すわけではないので、その点はご了承ください。では、早速高校時代の話に入っていきます。

高校での恋愛:長く付き合った彼女との思い出

高校で一番印象に残っている出来事といえば、やはり彼女との恋愛です。高校1年生の最初に付き合い始め、大学1年生まで続いた長い交際でした。この彼女とは、中学校の最後に同じ塾に通っていた友達から「君のことを気にしている子がいる」と紹介されて知り合いました。まだ会う前から連絡を取り合っていて、顔も見たことがない状態でしたが、すでにワクワクしていましたね。

そして、高校の入学式で初めて会い、その後すぐにお付き合いが始まりました。4月15日にはもう付き合っていたので、入学してから1週間も経たないうちに恋人関係になったという感じです。本当にあっという間でしたね。

高校生活と彼女との日々

高校生活では、毎日彼女と一緒に帰ることが日課になっていました。彼女の家は学校から近かったのですが、わざわざ遠回りして私の家まで一緒に帰ったり、公園に寄って話したりしていました。部活が終わった後も、公園で2時間ほど過ごすことが多く、夜8時くらいまで一緒にいたこともよくありました。

さらに、メールでも毎日やり取りをしていて、一日に100通以上送ることもありました。当時はガラケーでメールをするのが主流でしたから、文字だけのコミュニケーションでも十分楽しんでいましたね。

ファーストキスとその後

ファーストキスについても触れておきます。これも驚くほど早くて、付き合って3日目か4日目にはもうキスをしていました。中学校時代の恋愛では手をつなぐことさえできなかった私ですが、この時は少し成長していたようです(笑)。ただ、「ちょっと早すぎたかな?」と言われた記憶もありますね。

その後、高校3年間ずっと彼女と一緒に過ごしました。中学校時代の生徒会メンバーとも仲良くしていましたが、次第に彼らとの距離感が少しずつ変わっていきました。特に、生徒会メンバー2人は私とは違う方向に進んでいくような感じがして、少し寂しい思いもしました。

友人関係と彼女とのバランス

高校時代は、彼女との時間を優先することが多かったため、生徒会メンバーとの関係にも変化が出ました。どこか距離感を感じるようになってしまった部分もありましたね。


今回はここまでです。彼女との思い出や高校生活についてはまだまだ語りたいことがありますが、一旦ここで区切ろうと思います。また次回、高校編の続きをお楽しみに!

人生の振り返り ~高校編②~

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高校時代の抱負とその後の振り返り

今日は、私が転職を機に整理していた資料の中から、高校時代に書いた「抱負」の作文が出てきたので、それを紹介したいと思います。当時の自分がどんなことを考えていたのか、振り返る良い機会になりました。それでは、まずはその作文を読んでいきます。

高校入学時の抱負

僕がこの高校を受けた理由は、高い学力を誇るこの高校で勉強し、良い意味で刺激を受け、自分自身を変えたいと思ったからです。将来の夢はトレーナーで、スポーツに関わりながら人に教える仕事に就きたいと考えています。そのためには専門的な知識が必要で、人に教えるためには自分がしっかり理解していることが大切だと思っています。だから、この高校で精一杯学び、スポーツ関連の大学へ進学したいと思っています。

僕は目標を持ち、それに向かってやり抜くことができる人間になりたいし、そういう人間が好きです。逆に、やり抜けない人間は嫌いです。しかし、これまで勉強に対してはやる気を持ったことすらありませんでした。だから、この高校では勉強に対してやる気を持つことを目標に掲げたいと思います。

活動面では、野球が好きなので高校でも続けたいです。中学時代はレギュラーから外されてベンチで過ごすことも多かったですが、それでも諦めず頑張ってきました。声だけは誰にも負けない自信がありますし、高校でもチームを盛り上げるために全力で声を出して頑張りたいと思います。

勉強が大変でも、中学時代の厳しい練習や辛かった経験を思い出し、負けずに頑張ります。そして仲間を大切にし、お互い励まし合いながら成長していきたいです。中学校生活で一番大切だと感じたのは仲間の存在です。だからこそ、高校でも良い仲間と共に充実した日々を送りたいと思っています。


振り返ってみて

この作文を読み返してみると、高校入学当初は本当にやる気に満ちていたんだなと感じます。しかし、現実はどうだったかというと…正直なところ、勉強にはあまり力を入れませんでした(笑)。息子にもこの作文を見せたところ、「これ、本当に勉強頑張る人の作文だね」と言われてしまいました。

結局、高校3年間で本格的に勉強したのは、高校3年生の11月になって模試の結果を見て「ヤバイ、このままだとどこにも行けないぞ」と焦った時からでした。それまで放置していた科目も多く、志望校には届かなかったという結果になりました。でも、その経験も今となっては良い思い出です。

将来の夢について

作文では「トレーナーになりたい」と書いていましたが、これは中学校時代、大工さんになりたいという夢から少し変わったものです。当時、先輩に「お前スポーツ好きだからトレーナーとかいいんじゃない?」と言われたことがきっかけで、この夢を抱くようになりました。しかし、その後大学では別の道へ進み、最終的には建設業界で働くことになりました。


今回振り返ってみて、高校時代の自分が抱いていた夢や目標、その後の現実とのギャップについて改めて考える機会となりました。人生は思い通りにはいかないことも多いですが、それもまた一つの経験ですね。

次回はまた別のエピソードについてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~高校編③~

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高校時代の勉強についての振り返り

今回は高校時代の勉強について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

提出物と宿題について

まず、提出物や宿題について話しますが、これは中学時代からずっと苦手でしたね。中学校の時も、提出物を全く出さないタイプで、特に中学3年生の最後には先生から「提出物を出さないと卒業させない」とまで言われましたが、「義務教育だから卒業はさせられるだろう」と思って結局何も出さずに卒業しました(笑)。

高校に入ると、さすがに提出物を出さないと単位がもらえないということで、仕方なく提出するようにはなりました。ただし、それでも期末テストの時期になると、提出物を出していないせいで部活動に参加できず、ひたすら宿題を片付ける日々が続いていました。部活が好きだったので、「ちゃんとやっておけばよかったな」と思うこともありましたが、結局ギリギリまで手をつけない性格でしたね。

宿題を提出する際も、他の人は答えを写す時に少し工夫して間違えたりしていたようですが、私はそれすら面倒くさくて、丸写ししてそのまま提出していました。丸つけまで二重丸で書いてしまうという、先生にはバレバレの状態でしたね(笑)。

勉強へのモチベーション

高校に入って初めて赤点を取った時は、「こんなの自分じゃない」と少し凹みましたが、それでも勉強へのやる気はなかなか持てませんでした。特に新学校だったこともあり、テストの難易度が一気に上がっていて、本当に難しかったですね。

得意科目は数学で、高校1年生の終わりには文理選択がありました。私は理系科目が得意で、特に数学では偏差値70以上を取っていたので理系に進みたかったんですが、スポーツ系の大学に進学したいという夢があったため、文系を選択することになりました。

ただし、その当時の高校では文系を選ぶと理科は生物しか選べなくて、私は物理が得意だったので物理を選びたかったんです。結構長い間交渉しましたが、最終的には物理は選べず、生物を取ることになりました。この辺りでも、自分の希望通りにいかないことへのフラストレーションを感じていましたね。

テスト前の過ごし方

テスト前になると部活動も休みになるので、その時間を使って勉強することもありました。ただし、その時間も彼女と一緒に過ごしたり、友達とカラオケに行ったりしてしまうことが多く、なかなか勉強に集中できませんでした。やっぱり自分で「勉強しよう」と思わない限りは身につかないものですよね。

最後に

今日はちょっと頭の中が整理できていなくて話がまとまりませんでしたが、高校時代の勉強について振り返ると、自分の怠け癖やモチベーションの低さを改めて感じます。それでも、高校生活全体としては楽しい時間も多かったので、それはそれで良かったかなと思っています。

次回はまた別のテーマでお話ししたいと思いますので、お楽しみに!

人生の振り返り ~高校編④~

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高校2年生の修学旅行を振り返って

今回は高校2年生の時に行った修学旅行について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

修学旅行の行き先

修学旅行は九州に行きました。クラスが8クラスあったため、人数が多く、2グループに分かれての旅行でした。残念ながら、彼女とは別のグループになってしまい、一緒に過ごすことはできませんでした。これがまず最初の「残念ポイント」ですね(笑)。当時は、修学旅行で彼女と甘い時間を過ごしたいなんて考えていたんですが、そんなことは叶わず。

吉野ヶ里遺跡での遊び

最初に訪れたのは佐賀県の吉野ヶ里遺跡でした。今思えば、歴史的な建造物や遺跡を見ることに興味が湧くのですが、当時はとにかく遊ぶことしか頭になくて、遺跡そのものにはほとんど興味がありませんでした。特に吉野ヶ里遺跡には古墳型のトランポリンがあり、そこで友達とずっと跳ね回って遊んでいました。遺跡は全く見ずにトランポリンで遊ぶだけという、今思えばもったいないことをしていましたね。

長崎でのカラオケ

次に訪れた長崎では、「オランダ坂」など観光名所を巡る予定だったんですが、近くにあったカラオケボックス「ロンドン」に入り浸り、観光をそっちのけでカラオケを楽しんでいました。当時は観光よりも友達と歌う方が楽しかったんですよね(笑)。

ハウステンボスでの出来事

修学旅行中、一番印象的だったのはハウステンボスへの移動中のバス内で起きた出来事です。私は当時、人が嫌がる反応を見るのが好きで、ふざけて友達の耳を噛んだりすることがよくありました。その延長で、バス内でも友達とふざけてキスをしてしまいました。クラスメイトは大盛り上がりでしたが、その友達(柔道部の「ハゲ」)が彼女にそのことをメールで報告したところ、「気持ち悪いから別れる」と言われてしまい、大ショックを受けていました。

ハウステンボス到着直前だったので、みんなで楽しむ予定だったところ、その友達が落ち込んでしまい、私も悪いことをしたなと思いながら彼と一緒に歩いていました。しかし途中から「今を楽しまないと損だ!」と言って無理やり元気づけました。最終的には彼女へのお土産を買って何とか関係を修復しようという話になり、大事には至らなかったようです。

その他のエピソード

修学旅行中には他にも色々なバカなことをやりました。宿泊場所では窓からロケット花火を飛ばして先生に怒られたり、船に乗るイベントではガイドさんが説明している間ずっとふざけて邪魔したりしていました。本当に若かったですね(笑)。


こんな感じで、高校2年生の修学旅行は本当に楽しい思い出ばかりです。バカバカしいことばかりやっていましたが、それもまた青春ですよね。

人生の振り返り ~高校編⑤~

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高校の文化祭を振り返って

今回は高校生の文化祭について振り返っていきたいと思います。よろしくお願いします。

高校1年生:白雪姫

高校1年生の文化祭では、クラスで「白雪姫」をテーマにした映像作品を制作しました。私が演じたのは、なんと魔女役。しかも女装して魔女を演じました。おっぱいを大きくして、ぐんぐん揺らしながら魔女を演じるという、かなりインパクトのある役でしたね(笑)。当時はとにかく楽しくて、クラスメイトと一緒に盛り上がりながらやっていた記憶があります。

高校2年生:プロポーズ大作戦

高校2年生では「プロポーズ大作戦」をテーマにした映像作品と実演を行いました。私は長澤まさみさんが演じたヒロイン役で、またしても女装しました(笑)。この時はウェディングドレスを着て、学園祭当日にはそのまま宣伝活動にも回りました。ウェディングドレス姿で学校中を歩き回るというのは、今思えばかなり大胆なことをしていたなと思います。

当時は筋トレもしていたので、足も綺麗で、「美脚だ」と言われることもありました。ミニスカート姿で堂々と歩いていた自分を思い出すと、なんだか懐かしいですね。女装に対する抵抗感が全くなかったのも面白いところです。

高校3年生:リトルマーメイド

高校3年生では「リトルマーメイド」のミュージカルをやりました。この時は男装でエリック王子役を演じました。王子様っぽくはない私ですが、それでも主役級の役をいただき、一生懸命演じました。ミュージカルの練習では発声練習などもしっかり行い、舞台に立つ楽しさを存分に味わいましたね。

特に印象的だったのは、台詞や歌をしっかり覚えて、自信を持って舞台に立つ瞬間です。「胸を張って一歩踏み出す」という感覚がすごく気持ちよかったです。演劇やミュージカルは観るのも楽しいですが、自分でやる楽しさも格別だと感じました。

バンド活動

また、高校3年生ではバンドも組んで文化祭で歌いました。文化祭と体育祭が連続して行われたため、その準備や練習で声が枯れてしまい、本番では声が出るかどうか不安でしたが、なんとか乗り切りました。応援団長として体育祭でも声を張り上げていたので、本当に喉が限界でしたね(笑)。

まとめ

高校時代の文化祭は、本当に青春そのものだったなと思います。舞台に立ったり、バンドで歌ったり、友達と一緒に何かを作り上げる楽しさを存分に味わうことができました。それぞれの文化祭で違った役割や経験を積むことができ、本当に充実した時間でした。


今回はここまでです。また次回も高校時代の思い出についてお話ししたいと思いますので、お楽しみに!